自分語り

    69 :ちわわ 2014/10/01(水) 00:54:50 ID:???
    ついでに自分語りしてみる

    俺の嫁とは自分が20歳から付き合いだ。嫁は4つ上。
    当時、自分が若いのもあってチャラチャラしてたし、
    勤めてた会社に嫌な先輩がいて辞めたいって嫁に相談したんだ。
    嫁「辞めてどうするの?地元帰るの?」って言われた。
    兎に角、辞めたかっただけでその後は考えてなかった。
    そしたら嫁は「とりあえず3年頑張ろう!私も頑張るから」と。
    ちょっと意味わかんなかったけど1人暮しだし、貯金もなかったし我慢して続けることにした。
    週末はいつも嫁が俺の家に遊びにきてたんだけど、しばらく行けないからと嫁からメール。
    理由がわからなくて不安になって嫁実家に凸したら、嫁 何か勉強してた。
    嫁「秘密で受験しようと思ってた。私が手に職つければ俺くん仕事辞めても大丈夫でしょ」と。
    嫁、看護士になるために受験しようとしてたんだよね。
    直感的にその時、俺コイツと結婚したいと思った。
    嫁が看護士免許取得した年に入籍した。

    続きます

    452 :ちわわ 2014/01/10(金) 09:23:00 0
    9歳くらい以前の記憶がない。
    気付いたら施設。戸籍がなかった。
    だから今も正確な生年月日は不明。
    親も不明。名前は自分で名乗ったらしいからそれらしいのはいたんだろうけど。
    施設に入って小学校に入れられたけど、一桁の足し算どころか
    自分の名前をひらがなで書くことすらできない。
    協調忄生もあったもんじゃないから学校でも施設でもいじめられた。
    施設飛び出して数日で捕まるの繰り返し。
    食事とか基本的に窃盗してたけど、12歳くらいのときに
    自分の体が金になることを知ってそれからはずっと売舂。
    端折るけど18のときに、知り合いのクズ男の紹介で風イ谷店に勤めた。
    しばらく稼いだらオーナーに勧められて経営の方に。
    ちょっとしたきっかけがあってオーナーに店を買い取ってもらって20代で隠居。
    大学卒業して今はニートしてる。

    修羅場しかない人生だけど、一番の修羅場は昔窃盗した店に十数年ぶりに謝罪行脚したこと。
    自分でやったこととは言え、本当にすごい脇汗かきながら謝罪した。

    858 :ちわわ 2012/11/29(木) 13:05:38 ID:NO6YYxeb0
    長文失礼。

    自分の話で何だけど、今年の夏に難病にかかってしまい、
    3ヶ月程入院しました。
    入院する数ヶ月前から凄く具合が悪くて、ほとんど食事も
    摂れない状態で。
    検査漬けの結果、とある難病と診断され。
    もう2度と治らない、と宣告され酷く絶望的な気持ちになりました。
    体は勿論だけど、精神的にかなりきつくて。

    治療の副作用で3日3晩、40度を超える高熱を3回出しました。
    自分でも「もうだめかな?」と覚悟した時、祖母が迎えに来て
    くれました。
    祖母は「可哀想に、こんなに苦しい思いをして。ばあちゃんと
    一緒に行こう」と私を抱き抱えてどこかに行きました。

    その後意識が途切れて、私の意識は高い窓のような所から、座敷
    と思われる風景を見ていました。
    映画の犬神家に出てきたような古い座敷で、2~30人程の老人が
    会議のような物?を開いているようでした。

    757 :ちわわ 2012/06/14(木) 13:30:44 0
    高3の冬、ちょうど本命大学の受験前日に家の電話がなったので出てみたら借金取りの電話でgkbr
    その後無事合格通知が届いて喜んでいると、スーツ姿の銀行マンが訪ねてきては父親と楺めていて、うちはどうなるんだろうとさらにgkbr
    詳しく事情を父に聞いてみると

    ・母がパチ〇コで勝手に銀行や消費者金融で600万の借金をしていた
    ・過去にも2回ギャンブルで借金したがその時はもうしないと約束し父が返済した
    ・今回が3回目、しかもバブルもはじけて父の自営も芳しくないからもうこれ以上のしりぬぐいは無理
    ・とりあえず上記の600万とは別に友人知人に借りている分だけは父が返済、それが財産分与ってことで離婚してこの家を追い出す

    とのことだった。
    母の両親はなくなっていたので母の姉が家に来て、父に離婚を思いとどまらせようと父や私達兄弟を説得しようとするんだけど

    「今まで弟がお母さんの自転車をパチ〇コ屋の駐車場で見かけたって話を聞いても見間違えじゃないかとかばってきたし
    生活費が苦しいからと言われてお小遣いを貸しては踏み倒されてもお母さんにも事情があるのかなとお父さんに内緒にしてきた。
    けどその理由がパチ〇コだなんてもう無理!
    小学校の時夏休みは毎日500円玉渡されて弟と二人でスーパーで買ったお弁当食べたりお友達の家でごはん食べさせてもったり
    してたけどずっといやだった。
    中学・高校の時も友達は皆お母さんの手作り弁当を持ってきてたのに、うちはお母さんが専業主婦なのに作ってくれなくて、
    バイト代で冷凍食品かったり晩御飯のおかず(お刺身だけとか焼いたハムだけとかスライストマトだけとかザラだった)を
    食べずに置いておいては自作した卵焼きと一緒にお弁当箱に詰めて持って行ってたし、
    部活の推薦をくれた私立高校に行きたかったけどうちは貧乏だからと我慢して、家から遠い部活の盛んな公立に進学したのに
    全部パチ〇コのせいだったなんてもうお母さんのこと信じられない!
    今だって折角念願の大学に合格できたのに私大学に行けないの?弟だってまだ高校入ったばっかりだよ?」
    という状況が人生初めての修羅場でした。

    21 :ちわわ 2012/08/13(月) 20:08:23 ID:SKs20erY0
    とにかくお金に関すること。子供のころから手癖がわるい。
    実家は自営業で現金がいつも手に届くところにあった。

    盲腸で入院していた時は、同室の患者さんのお財布から抜き取っていた。
    今と違って、鍵のかかるような引出ではなかった。
    「あら? 一枚足りない?」 そのくらいがバレない。
    待合室で寝込んでいる人のバックからも抜いた。

    会社勤めするようになって、経理も総務もやっていたので、
    社長の接待交際費として、自分で領収書を発行させていた。

    他人からは、いい人っぽく見えるらしいけど、どす黒い忄生格。
    万引きはしなかった、とにかく現金だけ。
    バレない金額が身についた。

    子宮の病気で生理がなくなった。
    同時に窃盗も嘘のようになくなった。
    「病んで止む」って本当だなと思った。

    そういえば、最初に実家のレジからお金を盗ったのも
    生理が始まった頃から。

    お金に困っていたわけでもなかったし、
    なにかものすごく欲しいわけでもなかったのに、
    なんでだろう? 食べ物や服なんかでどうってことなく消えていくのに。
    30年も続けていた。

    バレなかったのは友人からは盗らないことを決めていたからかな?

    今のように防犯カメラがアチコチにあったら絶対に捕まっていたと思う。

    219 :ちわわ 2016/05/13(金) 03:02:38 ID:nav
    私は小1の頃には中二病を発病していた

    私は幼い頃、気管支が弱かった
    大阪で生まれたものの、大阪の空気がわるくて喘息が酷かった
    そこで親は3歳になる頃に隣県の田舎に引っ越した
    そこは村社会が根強く残るような場所

    ここから先は私の推理も入ってるのでもしかしたら一部真実は間違ってるかもしれない

    私は大阪で幼稚園に行ってて、そこで体操服を購入していた
    隣県で入った幼稚園にも体操服があったんだけど、勿論種類が違う
    買い直す必要がなかったので、私一人だけ体操服が違った
    その後小学校へあがるんだけど、幼稚園と小学校の体操服が同じらしく(うろ覚え)、幼稚園に行っていた子はその時の体操服を小学校で使えた(これは確実)
    周り皆同じ体操服なのに、私の体操服だけが違う
    私の体操服は肩の部分に紺色の指一本分の太さのラインが2本入ってたんだ
    だから違うのは遠目から見ても一目瞭然だった
    学校ってみんな一緒を美徳とするから、私の一人だけ違う体操服は好奇の目を向けられた
    頻繁に「なんでハルちゃんだけ体操服ちがうのー?」と聞かれた
    アホな私はその時体操服のシステムとか理解してなくて、「これが私の体操服」という認識しか無く、しかも周りとの違いを明確にしている肩の2本のラインがお気に入りだった
    聞いてきた子の中には「一人だけ体操服ちがうんだ!悪いんだ!」って感じでせめてきた子も沢山いて
    そんな時は私と同じ幼稚園に行ってたよく知らない子が「ハルちゃんは引っ越してきたんだよ!」と必タヒに説明してくれた
    でも私は自分が悪いことをしてる認識もなかったので「何必タヒになってるんだろう」と相手の気遣いに気付かないどころか
    「そうか!皆この私の体操服の2本のラインが羨ましいんだな!私の体操服だけについてるもんね!私のだけ特別だもんね!」と斜め上の解釈をし
    「ハルちゃんだけ体操服ちがうー!」と嫌味言われる度に「ふふふ、また一人この体操服のファンが!」とアホなことばかり考えていた

    1 :ちわわ 2020/09/11(金) 02:02:53 ID:2xy
    立ったら書き連ねようと思う

    2 :ちわわ 2020/09/30(水) 02:47:28 ID:Mrccpkc80.net
    携帯からPCになったのでID変わるとおもいます

    何から話せばいいやら
    とりあえず書き溜めた分は投下したいとおもってる
    途中で終わったらごめん

    毎年今の時期はまともに寝れないんだ

    656 :ちわわ 2016/08/06(土) 00:01:58 ID:O9Z
    昨年の暮れに会ったときは元気だった祖母がボケ始め、数か月で一気に認知症が進行し、
    母の友人のツテで特別養護老人ホームに入ることになった。

    4月くらいに実家に帰った際、祖母と同居していた両親とホームに面会に行ったら、
    祖母は俺の顔も名前も覚えてなかった。

    幼い頃から可愛がってもらっていたのですごくショックだったが、
    今までずっと家で農作業や家事を気張ってやっていた分、
    これからはホームで悠々自適に過ごして欲しいと思うようにした。

    それからしばらくして、仕事中に違和感を感じることが多くなった。

    毎日書いているはずの書類に書く言葉が出てこない。
    いつもは電卓など使わずに計算してる計算ができない。
    毎日顔を合わせているはずの同僚の名前が出てこない。
    引継ぎで言うべきことがわからない。
    引き継がれたことが覚えられない。

    そんな状態が一週間くらい続き、仕事でミスが増えた。
    祖母のことがあまりにショックで、自分が思うよりもずっと精神的に疲れてるんだろうと思い、
    数日間有休をとって実家に帰った。

    続きます

    937 :ちわわ 2013/07/05(金) 23:01:05
    おっさの独り語りだから、ウザいと思ったら読み飛ばしてくれ。

    当時35歳だったモテないリーマンだった俺の部署に、配転で何人か配属された。その中に美人系ではなく小動物系のかわいい娘がいた。
    自己紹介で「みんなにはハムスターに似ているのでハムちゃんと呼ばれています」と言っていたので、みんなは本名の○○子ではなくてハムちゃんと呼ぶようになった。
    そこで歓迎会で飲みに行った。一次会と二次会ではハムちゃんと一言ぐらいは話したような気がするが思えていなかった。そして三次会にもハムちゃんは付いてきた。
    すでに相当できあがっていた俺の記憶はここから先が無く、気がついたら自分のベッドでYシャツ着たまま寝ていてすでに朝だった。
    翌日二日酔いで会社に言ったら、ハムちゃんに懐かれていた。他の人にも話を聞くけど、微妙に俺に聞くことが多いような気がした。
    ただ席は俺が一番近かったので、近いヤツに聞いてるだけだろうと思っていた。
    ハムちゃんは小動物系でちょこまか動くのがかわいいので、みんなにかわいがられていた。
    なかでも部長は彼女が入れるお茶が大好きで、彼女がお茶を入れるとやたらと機嫌が良かった。
    それと酒は強くなさそうで、あまり飲まないのに飲み会には必ず参加していて、二次会とか三次会まで付いてきた。
    そして俺の家と帰る方向が同じだったので、飲み会の後はよく一緒に帰っていた。
    そのうちハムちゃんとは飲み会以外でも時々一緒に帰っていたが、単に一緒にファミ乚スで晩ご飯食べたりする程度で、
    たしかに仲は良かったが後輩以上恋人未満というような感じだった。それに俺はもう一歩踏み出せない理由もあった。