ちわわ速報|修羅場・鬼女・2ちゃん生活まとめ

=用語= 🦴キチママ…思考回路がおかしい母親の事 🦴ボッシー/シンママ…母子家庭、シングルマザーの事 🦴サレ/シタ…浮気された側の事/浮気した側の事 🦴小梨/子蟻…子供がいない事/子供がいる事 🦴DQN…不良のような暴力的、非常識な人の事 🦴DQN返し…迷惑行為を受けた事に対する仕返しの事

    人生

    836 :ちわわ 2009/09/03(木) 16:43:08 O
    お盆の義実家での集まりで、こっそり私の赤い下着を持っていき余興として着た旦那。
    親戚や義実家から大笑いされるどころか、「やっぱりそんな女なのね」と見られる始末。
    急いで旦那を外に連れだし怒るも、全然通じず言った台詞がこれ。
    「あれ~?あれあれ~?ボクチンを怒らすのかなぁ?
    これボクチンがプレゼントした下着なのに、君が怒るんだ~?
    付属品の分際で偉そうだねぇ?ボクチンの付属品でいられることへの感謝はぁ?
    やっぱりママンの言った通り、ボクチンのこと見下してるんだねぇ?
    離婚されたくなかったら、今すぐ土下座してみせてごらん??」

    リストラされてタヒぬほど落ち込んでて、先生のアドバイスも受けて、
    旦那がリラックスできる場所として、親戚も多くいて、小さい頃からずっと育った義実家に、
    療養として帰って3週間。
    その間私は仕事も増やし働いて、お盆の集まりは3週間ぶりの再会だった。
    それまでは普通に仲良く過ごしてたのに、義実家に吹き込まれた?
    それとも本性.がでた?もうわからない。

    あの場で踵を返し、家に帰ってからしばらく経つけど、斜め上メールばかり。
    離婚かしら…支える気満々だったのにな。

    674 :ちわわ 2017/05/23(火) 12:38:13 ID:xqB
    姑が亡くなる前、最後に会ったのは多分私。(医療関係者以外では)
    もうかなりぼんやりしてる事が多くなって、その日は私を誰かと間違えてるみたいだった。
    「やりたい事はぜーんぶやった・・・幸せな人生だった・・・早くお父さん(義父)に会いたいわ・・・」
    みたいな事言ってたから、耳元で「行先は地獄だから会えませんよ」って言ってやった。
    ついでに「人を苛めて苦しめて好き勝手やって手に入れた幸せな人生ってなんでしょね。
    あんたのせいでタヒのうとした人もいたのに幸せな人生ですか、ずいぶんですね。
    閻魔さまは見てますよ。仏様も見てますよ。あんたが天国に行けるわけがない。
    幸せなのは今だけですよー」って一気に言った。
    自分がタヒを目前にした人相手にそんなことを言えるとは思わなかったけど、
    姑のそのセリフを聞いた時、なんかムカッとして反射的に言ってしまった。
    でも実際酷い姑だった。女の子ばかり3人産んで男の子を産めなかった私はどれだけ苛められたか。
    不妊の義弟嫁さんなんかもっともっと酷いことを言われて離婚を迫られたこともあって
    自杀殳未遂までしたんだ。
    それで義弟は奥さんを守るために縁を切って遠くに引っ越して行った。
    私たち夫婦も一緒に引っ越していけたらどんなに良かったか。
    色んなしがらみがあって逃げることは出来なかったけど、最低限の付き合いだけにしてた。
    癌があちこち転移しててもうダメぽって連絡あった時は「罰が当たったんだ」としか思わなかったけど
    最期の時に逃げるわけにもいかず、事務的に病院に通ってたけど
    これが言えたから通った甲斐があったのかも。
    でもまぁ、スカッとはしないわな。

    76 :ちわわ 2016/08/24(水) 12:12:51 ID:dmM
    妄想癖のある母親とピーナッツ親子状態だった時代、近所のお兄さんの縁談壊しかけたこと。

    母:「○○君(近所のお兄さん)、~~大学(MARCH)の法学部に進学したんだって」←これは事実だった
    母:「○○君、~~社(大企業)に就職したんだって」←これも本当。うかれた○○君の祖母が近所に言ってたらしい
    母:「○○君、あんたのこと訊いてたらしいよ。あんたに興味あるみたい」←これは母の妄想
    母:「○○君、あんたと付き合って、行く行くは結婚したいって家族に言ってるんだって」←これも完全に母の妄想

    私は、明るくて気さくな○○君に子供の頃から憧れがあり、浪人という名の身汚い実家引きこもり状態だったのに、
    母の妄想を信じてしまいその気になってた。
    父は昔から家にいても誰とも一切話さないので、私達の会話には何も言わなかった。
    母がおかしいのにはその頃はもうやんわり気づいていたが、元々友人も作れず、実家で母としか話さない暮らしの中で、
    母と親密な状態が切れずに、結局母の妄想に染まってしまった。

    ある日、母が買い物から血相変えて帰って来た。
    ○○君の家に派手な車が泊まっていて、訊いたら○○君が交際女忄生を連れて実家に帰省してるという。
    「○○君はあんたと結婚するはずだったのに!浮氣したのね!!アバズ○にたらし込まれたんだわ!!
    今から行って抗議してきましょう!!」と言う。
    いつもの部屋着のまま母に腕を引かれて、車に乗って、○○君の家に行った。

    そこまでは覚えてるのだが、その後の記憶がない。
    近隣のうわさではやはり○○君宅には私達は乗り込んだらしい。
    ○○君やそのご家族は勿論すぐ基地外親子とバレたけど、○○君の連れて来た女忄生は、
    怒ってその日は帰ってしまったらしい。
    それを母親が喜び、その後○○君の家族が警察呼んだらしい。
    そして母親だけが連れて行かれたらしい。

    で、覚えてるのは、○○君の友人の友人だという謎の女忄生宅でその女忄生と話したこと。
    おそらくカウンセリングとかのお仕事をしてる人だったのだと思う。
    「○○君宅を訪れるまでどんな会話があったか」とか、普段の暮らしぶりとか、家族との関係とか色々訊かれた。
    話してるうちに何故だか、「何もかもどうでもいいから早く両親と離れたい」と思うようになった。

    父の姉にあたる伯母がいて、その人は昔から父母に色々意見する人で我が家には出入り禁止になってたのだが、
    一連の出来事の後、この伯母が迎えに来た。
    それ以来実家には帰らず、伯母の家で暮らして勉強し、短大を出た後就職して伯母宅を出た。

    今は私は幸せに暮らしてて、本当は○○君にキチンと謝罪しないといけないのだとわかってるけど、
    また近寄られたら心底不愉快に思うんじゃないかとか、○○君宅に行くには未だ実家のある街に行かないといけないとか、
    色々考えてしまって結局してない。
    帰ってしまった○○君の交際女忄生は、その後すぐ誤解が解けて○○君と結婚したらしい。
    伯母は数年前病気で他界した。生涯独身の人だったので、私が見送った。

    836 :ちわわ 2009/09/03(木) 16:43:08 O
    お盆の義実家での集まりで、こっそり私の赤い下着を持っていき余興として着た旦那。
    親戚や義実家から大笑いされるどころか、「やっぱりそんな女なのね」と見られる始末。
    急いで旦那を外に連れだし怒るも、全然通じず言った台詞がこれ。
    「あれ~?あれあれ~?ボクチンを怒らすのかなぁ?
    これボクチンがプレゼントした下着なのに、君が怒るんだ~?
    付属品の分際で偉そうだねぇ?ボクチンの付属品でいられることへの感謝はぁ?
    やっぱりママンの言った通り、ボクチンのこと見下してるんだねぇ?
    離婚されたくなかったら、今すぐ土下座してみせてごらん??」

    リストラされてタヒぬほど落ち込んでて、先生のアドバイスも受けて、
    旦那がリラックスできる場所として、親戚も多くいて、小さい頃からずっと育った義実家に、
    療養として帰って3週間。
    その間私は仕事も増やし働いて、お盆の集まりは3週間ぶりの再会だった。
    それまでは普通に仲良く過ごしてたのに、義実家に吹き込まれた?
    それとも本性.がでた?もうわからない。

    あの場で踵を返し、家に帰ってからしばらく経つけど、斜め上メールばかり。
    離婚かしら…支える気満々だったのにな。

    674 :ちわわ 2017/05/23(火) 12:38:13 ID:xqB
    姑が亡くなる前、最後に会ったのは多分私。(医療関係者以外では)
    もうかなりぼんやりしてる事が多くなって、その日は私を誰かと間違えてるみたいだった。
    「やりたい事はぜーんぶやった・・・幸せな人生だった・・・早くお父さん(義父)に会いたいわ・・・」
    みたいな事言ってたから、耳元で「行先は地獄だから会えませんよ」って言ってやった。
    ついでに「人を苛めて苦しめて好き勝手やって手に入れた幸せな人生ってなんでしょね。
    あんたのせいでタヒのうとした人もいたのに幸せな人生ですか、ずいぶんですね。
    閻魔さまは見てますよ。仏様も見てますよ。あんたが天国に行けるわけがない。
    幸せなのは今だけですよー」って一気に言った。
    自分がタヒを目前にした人相手にそんなことを言えるとは思わなかったけど、
    姑のそのセリフを聞いた時、なんかムカッとして反射的に言ってしまった。
    でも実際酷い姑だった。女の子ばかり3人産んで男の子を産めなかった私はどれだけ苛められたか。
    不妊の義弟嫁さんなんかもっともっと酷いことを言われて離婚を迫られたこともあって
    自杀殳未遂までしたんだ。
    それで義弟は奥さんを守るために縁を切って遠くに引っ越して行った。
    私たち夫婦も一緒に引っ越していけたらどんなに良かったか。
    色んなしがらみがあって逃げることは出来なかったけど、最低限の付き合いだけにしてた。
    癌があちこち転移しててもうダメぽって連絡あった時は「罰が当たったんだ」としか思わなかったけど
    最期の時に逃げるわけにもいかず、事務的に病院に通ってたけど
    これが言えたから通った甲斐があったのかも。
    でもまぁ、スカッとはしないわな。