ネトゲ

    344 :ちわわ 2010/11/25(木) 07:24:42
    夫婦でリネージュってネトゲをやってる。β時代からいる。知り合ったのはネトゲではなかった。
    仕事しない、子供といたいと言うから専業主婦しているはずなのに、朝寝坊して子供にちゃんと朝食も作れない日が多い。
    食パン焼いたのだけとか、レトルトのコーンスープを温めただけとか。子供は小食だが、だからってそれでいいってもんじゃない。
    シンクは汚れ、部屋は片付かず、布団も嫁が自分で干したのは何ヶ月前だ? 天気が良いのに洗濯物は部屋干し。
    それを注意したことで喧嘩もし、5年ほどリネから遠ざかった。子供が小学校に上がり、時間の余裕もできて、もう前みたいに廃主婦にはならないだろうと思ったが。
    妻子には苦労させたくない、楽な暮らしをさせてやりたいと思い、仕事を頑張ってそれなりに早く昇進もした。代わりに休日は失った。

    子供が、「ママーこれ見てー」と呼んでも「今忙しい」とチャットか狩りに夢中。もちろん自分だってそういうことはある。でも、最近ちょっと目に余る。
    どこかで知り合ったリネ旦那。嫁垢にいるキャラみんなそいつの垢のキャラと結婚している。
    結婚システムが導入されたとき、リアル結婚式と時期が一緒で、リネ内でもアデナなくてサファイアリングでみんなに祝ってもらった。
    そのリングはとっくにどこかに捨てていて、「(新しいリネ旦那は)すごいよー すぐにダイアモンドの指輪用意したよ」ときた。
    茶Hかなにか知らんけど、『愛してる』だの『キスして』だの『起きたらすぐに会いに来てね』だの。アデンの掲示板には二人の結婚一ヶ月記念の愛の交歓書き込みまである。
    子供が学校行って、俺が仕事行っている間は電話(スカイプ? 携帯番号も交換済み)してて、深夜はチャットで。便箋でもやりとりがある。のべつまくなし。
    知らないとでも思っているのか、知られても後ろめたいことはないと思っているのか。

    661 :ちわわ 2017/01/14(土) 04:46:49 ID:9YD
    前にいた会社の話。
    創業者の先代社長は一人で全国に顧客を開拓したやり手だったんだが
    高齢で引退、一人息子に社長の座を譲った。
    この二代目社長が、当時40代半ばで独身ネトゲ中毒。
    ボクチンより頭のいい社員は全部クビ!(というか、逃げられた)
    ボクチンは立派なパパンの息子!だからボクチンも立派!
    だから得意先もどんどん発注してくれるべき!
    ボクチンのお仕事はネトゲしながら「じゃ●りこ」を食べること!
    (デスクの周りは空のカップが積んである)
    ボクチンに尽くすため社員のサービス残業は当然!

    これで利益の出る会社があったら教えてほしい。
    ここまでが前提。

    私は製作部のいくつかある班のうち、1つの班のチーフだったので
    社長を引きずって得意先に商談に行った。
    遠方の会社を複数回るので、泊りがけの出張になった。
    ビジネスホテルのシングルを2部屋取った。
    が、私が女なので、何か勘違いしたらしい。
    夜、自分の部屋にいると、社長が内線電話で、
    明日の商談のために企画書を書いたので見てくれと言う。
    明日拝見しますと答えると、いやぜひ今夜のうちに、と。
    その企画書とやらが本当なら、たしかに今夜のうちに見ておいた方がいい。
    社長の部屋へ向かった。

    案の定、ドアをノックすると、
    ドアを開けた社長は、風呂から出たてのほやほやで、ホテルの浴衣一枚のお姿。
    じゃ●りこで膨らんだ腹から湯気が立っている。
    「じゃ入って。打ち合わせをしよう」
    はいそうしましょうとなるわけないだろうが。
    シロートドーテイのくせに。(←男性.社員の噂話による)
    だいたい、私は社長と同い年だ。
    陰で私をババアと呼んでるのも知っている。(←男性.社員の噂話による)
    女ならババアでも何でもいいのかよ。
    ドアの外側に立ったまま「企画書を見せてください」と言うと、
    「いやまだできてなくて、話し合いながら書こうと…」
    「じゃ、明日拝見します」さっくり早足で逃げた。
    当時2ちゃんは知らなかったが、ポケットにICレコーダーは忍ばせていたけどね。
    続く。

    61 :ちわわ速報|修羅場・鬼女・2ちゃん生活まとめ 2006/10/07(土) 00:51:14
    こんばんは、過疎っているようなので若かった頃は修羅場だ!と思った話を。

    登場人物
    私(A子)
    彼(B男)
    変な男(C男)
    彼のモトカノ(D子)

    まず、お恥ずかしいのですが出会いはネトゲでした。
    家の近い3人で(A-C)オフ会をしたのがはじまりで
    私がB男に一目ぼれ。B男も私に一目ぼれ。C男も私に一目ぼれ。
    という、今思えば異性.に飢えてた3人組でした。

    C男から直接的な告白をされ、あまり男性.経験のなかった私は
    B男に相談に乗ってもらい、そのノリで私とB男は付き合うことに。

    といっても、私は学生。B男は社会人。
    時間が合わないので、月に2回ほどあえれば良いほうでした。
    そして今思うと精神的にちょっとおかしかったのでしょうが
    B男は付き合う直前に
    「もし付き合うとしたら、絶対に別れない」とか
    「もし別れることになったらタヒぬかもしれない」とか
    そういう危険な台詞を何回も私に言っていました。

    一人で盛り上がってた私は、絶対大丈夫!などと言ってしまいました。
    それを聞いたB男は、私と付き合う決心をしてくれたのですが。

    B男がなぜそんなに別れることを怖がっていたのかは未だに理解できません。
    どうして?と聞いてはっきりとした答えをもらう前に別れてしまったので。

    548 :ちわわ速報|修羅場・鬼女・2ちゃん生活まとめ 2016/08/08(月) 19:07:23 ID:X64
    趣味は人生を豊かにしてくれると思う。熱中できるものがあるのは良いことだと思う
    だけどネトゲに打ち込んでいる人のことはどうしても軽蔑してしまう
    ちょっとぐらい寝食も忘れて没頭してしまうのは構わないと思うよ。当人が満足していて、周囲の状況がそれを許容できる環境ならいいと思う
    ただ、子供がいる人は、ちゃんと子供のことも構ってあげてほしいなって思う

    ネトゲに没頭するようになってから母は母じゃなくなった。家事も育児もすっかり疎かになった。ご飯や授業参観はおろか、母は私の方を向いてくれることさえなくなった。
    懇談会はしぶしぶ参加していたけど、後で何故か怒鳴られた。
    私が学校から帰る度、朝と全く変わらない体勢でパソコンに向かっていた母の姿を鮮明に覚えている
    ゲームの名前は覚えていない。母の乾いて血走った目はよく覚えている。

    いつから母が変わってしまったのかは覚えていない。昔の母は普通の母だったと思う。私が幼稚園にいた頃は、少しヒステリックなところはあったけど、それでもお母さんと呼ぶことに違和感は抱かない程度には普通のお母さんをやっていたと思う。
    あまり母だった頃の母は記憶には残ってないけどね。乾いた目でパソコンに向かう母の姿の方がずっと長く見てきた光景だから
    母は当時まだ小学生だった姉に家事を丸投げしていた
    「今日は友達と遊ぶから晩御飯は作れない」と言った姉を怒鳴りつけた母の醜い声は未だに生々しく覚えている
    何も憂うことなく思いっきり遊ぶべき時期だっただろうに、姉は私を細やかに世話してくれた。家事の傍らで宿題も教えてくれた
    この状況は二年ぐらい続いたかな。父は何にも気付いていなかった。仕事で帰りが遅くて、いつも私たちが寝静まった頃に帰ってきていたから仕方なかったと思う

    ある日の夜中、帰ってきた父に姉が泣きながら今までのことを洗いざらい話した。起きてきた母は金切声をあげて、私は訳もわからず泣いた。
    私は泣き疲れてすぐに寝てしまったので父と母の間でどんな話し合いが行われたのかを知らない。これがきっかけとなって姉と私は祖母の家に預けられた。
    それから今に至るまで祖母の家で生活している。
    祖母の家で暮らすようになってからは、少なくとも私が知り及ぶ限りでは特筆するような波乱はなかった。姉と祖母と父はもっと何か知ってるかも知れないけど、少なくとも私はごくごく普通の青春を送ったと思う
    姉は祖母とカウンセラーの支えもあって立ち直り、今では立派に社会人をやっている。私も大学生になった。高校までの勉強と違って勉強すればするほど分からないことが増えていくけど、知識欲を満たす生活はとても充実していて楽しい。

    一度だけ、母と会ったことがある。成人式の帰りに父に頼まれて、本当は嫌だったけど仕方なく小さな和食屋で母と再会した
    眉間の深い皺と荒みきった目、毛先が傷んだ髪の毛は、中学の同級生だった不良のお母さん(後に逮捕された)を彷彿とさせた
    不思議なことに父は未だ母と離婚していなかった
    父には申し訳ないけど、愛想を振りまく気にはなれなかった。母の声色、姿、どれも小さな頃の記憶を思い起こさせるもので、私は吐き気と妙な眠気に襲われた。
    考え事に集中して意識を飛ばして母との再会を乗り切った。母の聞くに堪えない罵倒に対して生返事と適当な相槌を繰り返した。
    母の罵倒を思い出すと精神が抉れるので一部だけ紹介する
    「お前みたいな馬鹿には大学なんて無駄」
    「そんなに遊び足りないの?私は進学しなかったよ」
    「すっかりクソトメ(当時は「クソめ」に聞こえた)に甘やかされて。三文安ってやつだね」
    大体こんな感じのことを言われた
    大学をやめるよう命じられたような気がするけど、私はお手洗いに行くふりをしてこっそり抜け出して、そのまま家まで逃げ帰ったので何にも知らない。
    父には後で謝った。別に怒られはしなかった。

    今は平穏な日々が続いている。このまま平和な日々が続くことを祈っている。

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