ちわわ速報|修羅場・鬼女・2ちゃん生活まとめ

=用語= 🦴キチママ…思考回路がおかしい母親の事 🦴ボッシー/シンママ…母子家庭、シングルマザーの事 🦴サレ/シタ…浮気された側の事/浮気した側の事 🦴小梨/子蟻…子供がいない事/子供がいる事 🦴DQN…不良のような暴力的、非常識な人の事 🦴DQN返し…迷惑行為を受けた事に対する仕返しの事

    自分語り

    1 :ちわわ 2015/08/07(金) 03:15:28 ID:Pb6IfayI0.net
    次は顎削ろうかなあなんて考えてるンゴ‥

    496 :ちわわ 2019/01/12(土) 12:41:42 ID:6T7T0k0N0.net
    癡漢未遂した女と結婚した
    DTで仕事もうまくいかなくて友達もいないからやけっぱちになって女に襲いかかろうと思った。
    結果、俺は女の子に軽く投げ飛ばされ失敗。軽くお説教されたあと、女の子に「念のため連絡先交換します。二度とこんなことしないように。」
    通報されるかと思ったけど、されなかった。
    癡漢する元気すらなかった俺はある日タヒにそうな顔でコンビニにいったらその女と再会した。
    「そんなタヒにそうなかおしてるのにコンビニ弁当なんか食べたら余計体壊しますよ」って言って、手作りのおにぎりと唐揚げと卵焼きをくれた。(おかずはタッパに入れられて、部屋に入ったわけではないけど)
    返さなくていいんで!と言われたけど、申し訳ないからお菓子と一緒に返そうと思い、連絡先を交換したことをここでようやく思い出して連絡した。
    お菓子は受け取ってくれた。ここで嫁がまだ中学生だとわかる。(近所の中学の制服きてた。地味メガネのむちむち女だったから子供だとは思わなかった)

    226 :ちわわ 2014/06/20(金) 22:15:08 ID:3rxPDZKWG
    自分の人生が結構な修羅場。
    長いです。

    幼児期の私は所謂放置子だった。
    三歳で近所の公園に一人で遊びに行ってた記憶がある。
    小学生になり、一時友達は出来たが段々と䖈められるようになる。
    小さい頃には䖈められる原因が解らなかった。
    大人になって幼少期の自分を振り返ると、距離感が掴めてないKY児童だったと判明した。
    䖈めに㬥カは無かったが地味に精神を削られ続け、立派なコミュ障に成り下がる。
    そんなもんで仕事もルーティンワークな仕事にしか着けず、中卒で就職し底辺な暮らしをしていた。
    成人した翌月、母親から保険証持って着いてこいと凄まれる。
    借金の申し込みと解った私は「毎月給料の半額家に入れてるのに何でそんなお金ないん?いくら親子でもお金の事に関しては譲れない。」と頑なに断る。
    結果「親が困ってる時に助けない子供は要らん」と家から追い出される。
    半月は仕事を通じて巡り会った数少ない友達のお宅にお世話になりながら住み込みの仕事を探す。
    地域を選ばず何処でも飛べる派遣社員になった。
    居住が西日本から東日本に移った。
    居候させてくれた友達には暫く働いてお金を貯めたのちに改めてお礼と言う名目で回ってないお寿司屋さんでご馳走をした。

    派遣になってからは無我夢中に働いた。
    コミュ障があるので自分を表現するのは下手だったが、幸いな事に仕事仲間には恵まれていた。
    そこで知り合った同僚から、趣味のゲームに誘われた。
    所謂オンラインゲームと言う奴。
    あまりゲームに触れた事がなかった私でも、同僚のリードがあり溶け込んでいけた。
    自分を反映させたそのキャラクターには支援系の職業をやらせてスキル回しやらを必タヒに覚えた。
    ゲームの世界で、誰かから必要とされる気持ちを貰ってPC前で一人で泣く事もあった。
    そんな世界で知り合った人達と飲み会をする機会があった。
    自分が参加して良いのか解らなかったから黙っていたけど「貴女も参加するよね?ってかおいでよ!」と言われて嬉しくて参加表明した。
    そこで色んな年代の人達とワイワイ楽しく飲みながら、少しずつ自分らしさを見つけて行った。

    ある日、その世界の一人の男忄生から告白をされた。
    飲み会であった時から気になっていたと言われた。
    告白されるのも始めてで返事に困っていると「急がなくていいよ。」と言われ、暫く返事を保留にしていた。

    少しずつ距離を狭めていって、正式にお付き合い開始。

    969 :ちわわ 2013/01/13(日) 10:23:15 ID:/IQ3jXWK0
    10年前、中学生のころ私が経験した修羅場(?)
    当時の私の大事件。長いかも。

    私子・・・女、中学1年生、バレー部
    A先輩・・男、中学2年生、バレー部、雰囲気が押尾学似。口癖は「俺の女」
    B先輩・・男、中学3年生、バスケ部部長、学校1のモテ男

    田舎の中学校に入学した私は、小学生の時からの友人に誘われ女子バレー部へ入部。
    うれしはずかしの部活デビュー初日、強烈なスパイクが後頭部に直撃し転倒、床で額を強打し流血、保健室へ運び込まれるという珍事を経験する。
    スパイクしたのは男子バレー部二年生のA先輩。運動神経のいい不良っぽいちょっとイケメン(押尾学似)だった。
    そのA先輩に、担ぎ込まれた保健室で、「私子ちゃんをキズものにしちゃったね。責任は俺がとるから俺の女になりなよ」という謎の告白をされる。
    話したこともない先輩からのいきなり告白、しかもこの状況で?と唖然としたけど、男の人から告白されたのは生まれてはじめて、
    しかもイケメンからの告白にぽーっとなってしまって、ついOKしてしまった私は、考えなしのおバカなおこちゃまだったと思う。
    事件はここから始まる。

    540 :ちわわ 2014/09/06(土) 22:16:08 ID:4nykDN4ne
    中学の時、所属してた女子グループから弾かれるようになって、いじめにあってた。
    無視、ヒソヒソ笑い、物を隠す、教科書を破く、靴をゴミ箱に捨てるなど、テンプレ通りの内容。
    女子グループのリーダーというか、主犯はT子だった。
    このT子とは2年半ばの修学旅行までは仲がよかった。
    修学旅行では一日だけ二人部屋になったのでじっくり話した。
    態度が変わったのは修学旅行が終わってから。

    受験が数日後に近付いたある日、T子に聞こえよがしに家庭の事情をあてこすられてキレた。
    なんで我慢してるんだっけ自分?と、唐突にテンションが突き抜けた。
    どうせもう卒業なんだし、いじめが酷くなったところで高校は別になる見込みだったし。
    で、T子の席に行って思ってたことを全部言うことにした。
    教室にたくさん人がいる状態で、よく聞こえるように大きな声で。
    何度も言い返すシーンを日記に書いて発散してたのがイメトレになってたのか、
    思ったよりスラスラ言葉が出てきた。

    「T子ってさー、修学旅行の時、大部屋で一人で先に寝たじゃん。
    その後みんな、寝てるT子の傍でT子の悪口言ったでしょ?
    それで、その次の日は私と二人部屋だったよね。
    その時言ってたよね、大部屋でほんとは寝てなかったって。
    みんなが自分の悪口言ってて辛かったって、あんな奴らもう友達じゃないって言ってたよね。
    私だけは悪口言わなかった、私だけがたった一人の本当の友達だって言って泣いてたよね」

    ざわめく教室、驚いた感じでなんか言いかける女子グループ、蒼白になるT子。かまわず続ける。

    「修学旅行から帰ったらさー、突然私の悪口言い始めたよね。
    『あんな奴らもう友達じゃない』って言ってた人たちと、私の悪口で盛り上がってたでしょ?
    私の靴も捨てたし、私の教科書破いたり、物持ってったり、泥棒もたくさんしたよね。
    要するにスケープゴートだよねー。
    自分がいじめられたくないから、『たった一人の本当の友達』を生贄にしたわけでしょ?
    自分の悪口あんなに言ってた人たちと仲良くして、嬉しいの? ねえ今どういう気持ち?
    みんな、T子がいないところではまたT子の悪口言うんだろうにねー。
    私はさー、修学旅行が終わるまでは、本当にあんたのこと友達だと思ってたよ。
    だからあの時も悪口とか言わないで、他の人たしなめてたよ。
    でももう、あんたのこと本当に友達だと思ってる人間は一人もいない。
    世界中探してもいない。
    だってあんた最低だもん。
    悪口言われてあの時被害者みたいな顔してたけど、悪口言ってたみんなが正しかったんだって
    今ならよくわかるわー。
    あんた、自分がハブられないために『本当の友達』を売る人間だもんね。
    人間のクズだよねー、クズ。そりゃ、誰にも好かれるはずないわ。
    高校でも誰か適当に生贄にして、表面だけうまくやるの?
    本当はあんなに嫌われてるのにねー。これからも嫌われ者のまま生きてくんだね」

    282 :ちわわ 2013/05/27(月) 18:11:46 0
    中学入学直後の話。

    中1のときの担任が学園ドラマに変な影響を受けたような熱血教師。
    事あるごとにクラスの協調・団結について語り、休み時間に無口な奴が一人で本を読んでたら
    「君も恥ずかしがらずにみんなの中に入るんだ!」
    とかいって連れ出してほとんど無理やり体育館かグラウンドに連れて行ってクラスみんなと遊ばせようとする。
    その先生は少しウザかったけど、クラス中は比較的良好だった。

    で、その先生、毎月一度、その月が誕生日の奴の誕生会をクラスのみんなでやろうと計画。
    さらにそのとき最初の一回をサプライズパーティーにすることで協調。団結をよりいっそう深めようと考えたらしい。
    先生は4月生まれの人を除いたクラス全員に声をかけ、計画を練った。
    その計画は教室以外の掃除場所は普通に掃除して、その時間中に教室に飾りつけ→掃除終了時にクラスメートが今月誕生日の奴に「ちょっと話が」といって教室に誘導→教室に入ったらみんなで「ハッピーバースデー!!」というもの。

    て、4月生まれの奴が全員教室以外の掃除担当のときに誕生会を実行。
    そうとも知らない4月生まれの生徒(内一人が俺)、普通に掃除を進めていく。
    そして掃除が終わったとき、同じクラスで、唯一小学校も同じだった女子Aが俺に声をかけてきた。
    「(俺)君、この後ちょっと用事が…」
    ただ俺、この日はほしかったゲームの発売日、そして俺は。
    先生でもないし、今まで話したこともないAの話=重要度は非常に低いと判断してしまい、Aが話し終わる前に
    「悪い、用事あるから明日にして!」
    と言い残してそのままダッシュで帰宅した。

    476 :ちわわ 2019/04/29(月) 01:30:46 ID:c3GgLw0x.net
    GW明けに日本を出るので記念カキコ。
    そしてかなり長くなってしまった…。

    私は中学生の時にいじめられてた。
    いじめられてた原因とかきっかけはもう忘れてしまったけど、小学生の時から仲良くしてた友達からも無視をされるようになったのがきっかけで不登校に。

    不憫に思った祖母が私にお菓子作りを教えてくれた。
    祖母は菓子職人としてフランスで働いてた事があるすごい人で、それを知っていた私はとても嬉しかった。
    「あんたは腕がいいね」といつも褒めてくれたこともあり、私は「大人になったらおばあちゃんのような菓子職人になる!」といつも言っていた。
    勉強は兄や姉が教えてくれていたので学力も落とさずに高校受験を迎えることができ、私は祖母に言ったように製菓系の高校に入学した。

    その後は専門進学→海外で修行→30歳の時に日本に帰ってきて自分の店を開いた。
    どこに店を出すか悩んだけど、2~3年でまた海外に戻り、自分の店を出すつもりでいたので祖母への恩返しも込めて地元の近くに店を出した。

    長くなったけどこれが前提。
    分けます。

    812 :ちわわ 2017/05/12(金) 17:49:34 ID:???
    気圧が低いのか、
    片頭痛持ちなので、
    只今グロッキー中な婆よ
    トメさんの買い物にお付き合いしてたんだけど、
    お別れした直後からこのざまよ
    しばらく横になるわ

    452 :ちわわ 2014/01/10(金) 09:23:00 0
    9歳くらい以前の記憶がない。
    気付いたら施設。戸籍がなかった。
    だから今も正確な生年月日は不明。
    親も不明。名前は自分で名乗ったらしいからそれらしいのはいたんだろうけど。
    施設に入って小学校に入れられたけど、一桁の足し算どころか
    自分の名前をひらがなで書くことすらできない。
    協調忄生もあったもんじゃないから学校でも施設でもいじめられた。
    施設飛び出して数日で捕まるの繰り返し。
    食事とか基本的に窃盗してたけど、12歳くらいのときに
    自分の体が金になることを知ってそれからはずっと売舂。
    端折るけど18のときに、知り合いのクズ男の紹介で風イ谷店に勤めた。
    しばらく稼いだらオーナーに勧められて経営の方に。
    ちょっとしたきっかけがあってオーナーに店を買い取ってもらって20代で隠居。
    大学卒業して今はニートしてる。

    修羅場しかない人生だけど、一番の修羅場は昔窃盗した店に十数年ぶりに謝罪行脚したこと。
    自分でやったこととは言え、本当にすごい脇汗かきながら謝罪した。

    858 :ちわわ 2012/11/29(木) 13:05:38 ID:NO6YYxeb0
    長文失礼。

    自分の話で何だけど、今年の夏に難病にかかってしまい、
    3ヶ月程入院しました。
    入院する数ヶ月前から凄く具合が悪くて、ほとんど食事も
    摂れない状態で。
    検査漬けの結果、とある難病と診断され。
    もう2度と治らない、と宣告され酷く絶望的な気持ちになりました。
    体は勿論だけど、精神的にかなりきつくて。

    治療の副作用で3日3晩、40度を超える高熱を3回出しました。
    自分でも「もうだめかな?」と覚悟した時、祖母が迎えに来て
    くれました。
    祖母は「可哀想に、こんなに苦しい思いをして。ばあちゃんと
    一緒に行こう」と私を抱き抱えてどこかに行きました。

    その後意識が途切れて、私の意識は高い窓のような所から、座敷
    と思われる風景を見ていました。
    映画の犬神家に出てきたような古い座敷で、2~30人程の老人が
    会議のような物?を開いているようでした。

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