704 :ちわわ 2014/06/03(火) 07:53:59 .net
どこに書いていいか分からないから、ここに書かせて下さい。スレ汚しすまん。


家が貧乏だった俺は必タヒに勉強し、国立大学を目指していた。オヤジとオフクロも必タヒに
働いてどこにでもあるようなごく普通の幸せな貧乏家庭だった。ところが、俺が高校1年
の時にオヤジが末期がんになり、呆気無く他界。将来の夢は特に決めてなかった俺だが、
よくあるような「オヤジみたいな末期がんの患者を救いたい」とか何とか思い立って、ど
うせ国立で同じ学費なら文系より医学部を目指そうとしたのが高校2年の春だった。少な
いながらもオヤジに掛けてあった生命保険があり、国立大学であれば問題なく行かれると
オフクロも応援してくれた。

貧乏育ちの不幸な生い立ちだと、ドラマでは東大主席で卒業するような超優秀な奴だった
りするんだが、俺はその点目立った成績では無く、東大や京大なんて逆立ちしても入れな
い。でも、関東のどこか医学部に入りたいなあと思ってはいたので、ギリギリ妥協して関
東甲信越地方のある国立の医学部に合格した。

この大学のある町はそこそこ田舎だが、東京にも割りと近いから実家にたまに帰るのも問
題無い限界地域だった。まあ、実家と言っても賃貸だけどな。それでも、小さい頃からず
っと住んでた一軒家だから愛着がある。小さい頃からの思い出もあるし、それこそ俺の成
長の記録である柱の傷ってのもあったりするんだ。

俺が大学を卒業し、研修医として附属病院で勤務してる時、オフクロがぽっくり逝っちま
った。タヒ因は急忄生硬膜下血腫。パートに無断欠勤するような人じゃ無いからって、一緒に
働いてる人が無断欠勤した日に家に見に来てくれたら、冷たくなってたそうだ。医者の不
養生とはよく聞くが、どうして唯一の肉親だった母親の体調くらい気遣ってやれなかった
のかと悔やんでも悔やみきれなかった。
705 :ちわわ 2014/06/03(火) 07:55:31 .net
そんな俺を支えてくれたのが、研修医として働く病院で俺の3歳年上だったある看護師だ
った。外科で研修医をしてた俺は、ナースステーションが共通だった小児科で看護師をし
てた、この看護師さんの事は当然前から知っていた。冗談を言ったりする程度には会話も
するし、夜間の救急診療の当番でやって来た子どもを診て入院措置になった場合などは、
直接仕事の話をする事もあった。ただ、それだけだった。

東京での母親の葬儀や一応の手続きを済ませて帰った翌日、この看護師に「先生、どうか
したんですか?いつもと様子が違いますよ」勤務中に言われ、カウンセリングルームで少
し母親の事を話すとその場で抱きしめてくれて「じゃあ、今晩はお姉さんがお話し聞いて
あげるよ」夜は居酒屋で大酒飲みながら話しを聞いてもらった。その晩は俺の側にずっと
いてくれて、泣き続け、後悔ばかり言う俺を抱きしめて一晩中「よしよし」って頭を撫で
ててくれた。それだけの事で、どれだけ俺は救われたか。しばらくして、この看護師が俺
の彼女になった。初めて出来た年上の彼女だった、
706 :ちわわ 2014/06/03(火) 07:56:16 .net
研修が終わった時、俺は救急医になる事を目指した。本当はガンの専門医になる予定だっ
たが、母親の一件以来救急医を目指すようになった。実に安い理由だけどな。それと、ガ
ン専門医は非常にハードルが高いので諦めたっていう大人の事情もある。ある程度仕事が
出来る自信が付き、俺が附属病院を退職し都内の救急病院で働きたいと当時付き合ってい
た状態の彼女に言ったら「頑張って」と言われただけだった。俺は当然、結婚して付いて
きてくれるものだと思って転職を相談したのだが、彼女は「東京で頑張ってね。私もこっ
ちで頑張るから」そう言うだけだった。

何度話しても平行線で、ついに俺は東京、彼女は附属病院のある町の遠距離恋愛となる。
医者と看護師、遠距離恋愛は不可能に近い職業同士だ。でも彼女は、東京に送り出した俺
と別れるつもりは無いらしい。

彼女も両親が居ない。だが、俺のように両親とも他界したのでは無く、戸籍上父の欄も母
の欄も空白である。そう、彼女は生まれて間もなく両親に捨てられて、児童養護施設で高
校生まで過ごした。彼女の名前も保護された市の市長さんが付けてくれたものだそうだ。
彼女が捨てられていた時、入ってたゆりかごには生年月日と「よろしくお願いします」と
書かれたメモ、それに、現金10万円が入ってたそうです。
707 :ちわわ 2014/06/03(火) 07:56:50 .net
東京で救急医になって3年、そこそこの仕事が出来るかなと思ってた矢先に俺は大失敗を
した。小さな失敗は今まで数え切れないほどしていたが、今回の失敗は、それこそ先輩の
ドクターが発見しなかったら俺は患者を杀殳してたところだった。翌日、どうしても耐えら
れずに病院を休むと、俺は彼女の元へ向かった。そして、母親が亡くなって帰った日と同
じように、泣き続け、後悔ばかり言う俺を彼女は抱きしめて一晩中「よしよし」って頭を
撫でててくれた。

東京に帰った俺は、有頂天になってた自分に反省し、今まで以上に真剣に仕事に取り組ん
だ。忙しさにかまけて疎かにしてた、新しい知識を身に付けるための勉強も必タヒになって
やった。そして、彼女に会いに行って3ヶ月後、普段はメールだけの彼女から、電話があ
った。それは、子どもが出来たと言う知らせだった。
「間違いなく、あなたの子よ。私、あなたと会ってから、他の人としてないから(笑)」笑
いながらそう言う彼女に「結婚しようか」そう言うと、電話じゃロマンチックじゃ無いけ
ど仕方ないねって言い「それに、結婚しようかなんて疑問形みたいな言い方じゃ無くて、
もっと男らしく俺について来いとか言えないの?」って姉さん女房らしく豪快に笑ってい
た。
708 :ちわわ 2014/06/03(火) 07:57:23 .net
彼女の希望で簡単に教会で結婚式を挙げた。どうせ呼ぶ友達も少ないだろうしってね。俺
も、特に問題は無かった。大学病院に勤務してる最中なら、カッコつけて披露宴もダイナ
ミックにやりたいとか見栄張ったかもしれないが、どうせ俺も呼ぶ友達も少ないし、勤務
先の同僚は、救命医やら救急看護師だから呼んでも出席できない奴が大半だから。

ただ、新婚旅行だけは行きたいと言うので、お腹がマルマル大きくなったカミさんと一緒
にハワイに行ってきた。俺も海外旅行は実は初めてで、カミさんも初めてだった。まだ若
いとは言え、医者をしてる以上それなりに稼いではいる。こいつに一生支えてもらうんだ
と思って、なるべく豪華な新婚旅行にした。

生まれてきた子は女の子は、ハッキリ言って目元が俺そっくりだった。産科のドクターが
「この子、先生にそっくりだねえ」って言うくらい似てた。もちろん、自分に似てる子が
可愛いに決まってる。俺は、病院と家との往復がこんなに楽しいものかと思ったほどだ。
カミさんは、娘に全身全霊で愛情を注いでいた。家に帰ると、まだ歩くことも話す事も出
来ない娘といっつも笑っていた。

娘の3歳の誕生日会をしてる最中、俺は緊急の呼び出しを受け病院へ向かった。行っちゃ
やだと泣きじゃくる娘をカミさんが押さえて「いいから行って」そう言って、いつものよ
うに送り出してくれた。救急医をしてると仕方ないで済ましてしまうが、本当に申し訳な
いと思う。

この時が、愛するカミさんと娘の声を聞いた最後になった。
709 :ちわわ 2014/06/03(火) 07:58:02 .net
俺が病院へ行った午後7時過ぎ、泣きじゃくる娘をあやそうとしてたのか、3歳になった
娘を抱っこして近所のスーパーへ買い物へ出たようです。スーパーでは娘が好きなアイス
と俺の好きなアイスを買ったようだった。スーパーで会った近所の奥さんに「このアイス
パパが好きなの」って娘が言ってたそうです。

そして、スーパーを出た所の横断歩道で信号待ちをしていたところ、高齢者が運転する乗
用車がノンブレーキで、俺の愛するカミさんと娘の命を奪い去って行きました。即タヒだっ
たそうです。

警察から連絡があって、2人が搬送された病院へ白衣も脱がずに駆けつけると冷たくなっ
た2人が居ました。カミさんの遺体は酷い状況で、俺が医者だから見せてもらえたような
感じです。娘はカミさんが守ろうとしてたんでしょう、後頭部と左腕以外は全然キレイな
ままでした。そして右手には、しっかりアイス2個のレシートを握ってました。
710 :ちわわ 2014/06/03(火) 07:58:48 .net
とりあえず、ありったけの有給休暇を使って家に篭ってみた。カミさんの物、娘の物も整
理してみた。洗濯機に入ったままだった洗濯物は洗ってみたし、クリーニングに出してな
いカミさんや娘の冬物はクリーニングにも出してみた。あちこちから送られてくる幼稚園
の案内なんかも真剣に読んでみたりした。

ふと、カミさんがずっと書いてた日記があるのを思い出して、悪いとは思ったが読ませて
もらった。そこには、俺との出会い、もちろんそれ以前の彼氏との事とかも色々書いてあ
って少し嫉妬もした。俺が東京に行くって言った時の事が書いてあるページがあった。そ
こには「離れたくない。一緒に居たい。」と、ビッシリ書いてあった。そんな気持ちだっ
たなんて知らなかった。なんで、そこまでして東京に出たくなかったのか、日記に書いて
あった。

小児科の看護師だった彼女は、ある長期入院の女の子と約束してたそうです。病気が治る
まで、ずっとお姉ちゃんが一緒に居るからね。その子も両親が居ない子だったそうです。
711 :ちわわ 2014/06/03(火) 07:59:17 .net
でも、じゃあ何で俺と娘が出来て簡単に東京に来たのか。実は、俺が仕事で失敗して彼女
に泣き付きに行ったわずか1ヶ月半前に、その長期入院してた女の子は亡くなったそうで
す。その日の日記には、カミさんの今まで見たことも無かった悲痛な気持ちが書かれてま
した。俺は、自分の事ばかりで、カミさんの辛い時に慰めてあげる事も出来なかった。

日記帳に2冊の郵便貯金通帳が挟まってました。1冊はカミさん名義、1冊は娘名義。他
にも銀行の通帳があるのは知ってましたがこの郵便局の通帳は初めて見ました。中を見て
みると、両方とも金利が少しだけ付いて若干増えてましたが10万円入ってました。
娘の通帳を作った日の日記を見て、どうして10万円の2冊の通帳があるのか分かりまし
た。赤ん坊だったカミさんが捨てられていた時、揺りかごに入っていた10万円は当時の
児童養護施設の所長さんが郵便局の通帳を作って預けてくれてたそうです。そして、娘が
生まれた時に、同じように10万円の貯金をして通帳を作り「ママと一緒の初めての通帳
だよ」って日記に書いてありました。
713 :ちわわ 2014/06/03(火) 08:03:38 .net
清香、今まで何もしてあげられなくてごめん。
最後まで晴香を守ろうとしてくれてありがとう。


子どもが生まれたら、一緒にハワイに行きたいねって話したよね。

今日から俺はハワイに行ってきます。
妻の清香と一緒に、娘の晴香を連れてハワイに行ってきます。

いっつも寂しい思いさせてごめんね。
パパはもう、晴香より仕事を優先しないって決めたから。




嫁が可愛いに違いないので、ここに書かせてもらいました。大変失礼しました。
連続投稿とか言われてこれだけスマホから投稿する事になるとは。

今日から本当にハワイに行ってきます。

2人の写真を持って。
712 :ちわわ 2014/06/03(火) 08:02:36 .net
長いんで3行でまとめてもらえますか?
714 :ちわわ 2014/06/03(火) 08:04:55 .net
>>712
嫁好きだよ
娘好きだよ
2人とも天国で仲良く待っててね
715 :ちわわ 2014/06/03(火) 08:06:06 .net
自杀殳するの?
716 :ちわわ 2014/06/03(火) 08:07:22 .net
>>715
それを考えた時期もありましたが、今は前向きに生きようと思ってます。
718 :ちわわ 2014/06/03(火) 11:56:38 .net
あれ、目から汁が
理不尽な世の中だよな
724 :ちわわ 2014/06/08(日) 13:17:24 .net
幸せな家族だな。いい家族だな。
ハワイで少しでも癒されますように。
引用元:http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/tomorrow/1368377940/
他サイト生活系人気記事